2009年01月19日

森羅万象について

ファンタジー計の漫画・アニメ作品に『隠(なばり)の王』というものがある。

この作品では、森羅万象について「現在は主人公・六条壬晴がその身に秘めている。忍が『五行』の森羅万象の理を研究した末に生まれた。森羅万象が宿る人物はランダムであり、幾年もの期間現れない場合もある。森羅万象はそれ自体が自我を持つとも言われており、壬晴は度々自身の中で、彼が「妖精さん」と呼ぶそれと邂逅している。姿は着物姿の女性で、黒岡野しじまによく似ているらしい。」

実際の「森羅万象」とは、とは、宇宙に存在するありとあらゆる事象のことさし、古代の東洋科学知識の物理学に相当する。

古代インドでは、ヴェーダ聖典に出ているバラモンでは、この「森羅万象」を量子力学によって物理に沿ってそうなるように修法した。その技術は長い時間をかけて日本列島への亡命や戦国で敗れた豪族によってはじめ伝えられ、後に遣隋使などを通して密教や雑蜜や仏教に伝えられた。

この技術は専門へ入門しない限り習得できず、一般的には非公開である。

中には、遺伝子の流れから、先代の遺伝子がノウハウを習得している場合には無意識で使える場合がある。私がその一人だった。ただ、生態構造上や状態などの条件値のランクによって発生する力はケース・バイ・ケースで異なる。

「人間型・森羅万象」については、『隠(なばり)の王』で示された者ではなく、即ち、人間版「護摩」にあたる。

護摩』とは、ヴェーダ聖典に出ているバラモン教の儀礼にあたる。

行基・空海がこれを有していた。彼らにはあらゆる科学技術の知識を有していた。少なくとも、サンスクリットを熟知していなければ修法できないが、一行が物理学者(宇宙論学者)であったように、要は、そこら辺の基礎科学の基礎知識がなければ出来ない。

バラモンの諸科学や東洋の古代科学を見るところでは、その算術は、「関数を用いずに割り出すことが出来るマヤ文明の数学」を用いる事が出来る学者が流れてきた可能性が高く、マヤ文明の数学知識が元になっているかもしれない。

即ち、マヤ文明の数学知識は量子力学を関数を用いずに数式で解いていた事になるのかな…。例えば、「因果応報」といった物理の法則である『因果』は「超ひも理論」の理論構想に近く、量子力学に根付いた方法で算術される。即ち、ひもを解けばカオスも予測できるという話である。

話は逸れてしまったが…。

要は、修法の際に、本尊や護摩壇や法具を用いなくても、自身の固体を本尊とし、脳を駆動させることによって修法できる。無論、御霊入れや御霊抜きも意識をやるだけでできる。但し、ここでできるものは、量子力学の方法であるが、基本的に熱力学的であって、(「気」や「念」などの)エネルギーの浄化と分離・再生・進化である。 − このため、薬師如来の象徴のような修法も可能とする。

固体を選び極めて稀な現象であって、説明するのもきわめて難しいため、専門課程でも口外されない。 − ただ伝承として伝えられる。

一般的には、極端な苦行を行って、利己的な自我を殺傷し、内省を浄化しない限り、自らの自我の毒素で振り回される。「気」で殺す事も可能とされることあって、人を殺す事も可能であるから、専門課程では厳重な戒律がある。


「人間型護摩」によるこの秘術は、少なくとも自我や利己が全くない状態であることが条件であり、「無機質」でなければ成り立たない。これを満たさない場合は、失敗に至り大きな損害を内外に与える。

なぜなら、ヒトを護摩壇化させるということは、宇宙や地球の構造と同じ物質や構成を持つものであって、ヒト個人が持つ利己に犯されない状態での純度を要する。 − これが成り立たなければ完成しない。

これには、遺伝子の性質や生体構造に依存する物理現象であるので、誰しもができるものではなく、遺伝子の流れの中で経験値を当分積み重ねなければこれができない。

「人間型護摩」と化するためには、生存危機状態を長時間耐え忍ぶ極端な苦行を行う事によって解離を引き起こし、人格や自我を完全に崩壊させて解脱させなければ発生しない。

胎児期からの被虐待児二世の状態で、「問題解決を意図」とした「問題に対処する認知行動パターン」が第一に位置づけされていることを前提とした「自我を殺傷する傾向にある」内在性のパターンを引き起こすプロファイルであった場合には、胎児期より生まれてからも常に生存危機に曝されている環境で、弛まずに、常にブッダ並の認知行動による壮絶な苦行を行って(生まれてから)30年余りは掛かる。

「遺伝子の流れ」で考えていけば、「因果応報」といった『因果』は、どこかの遺伝子の流れで、因果を発生させる大きな因子が存在しているといった話になる。

即ち、自身の「ヒトとしての幸福」を代償に、体を差し出すほどの救済の発願をしなければ生じない。これを行うという事は、その後、その遺伝子は、その発願の作用が付きまとう。

つまり、その遺伝子が存在している限り、発願にたいする因果応報が発生するので、一度これを行った時点で、代々に伝えられ、その遺伝子が存在する限り、同じパターンを繰り返すことになる。 − これを固体においての因果応報という。

このため、初期仏教では、『「自身の因果応報」から、自身(自分という遺伝子)が何者であって、自身にはどんな運命で流れて生きているのかが予測できる』と説明している。


「人間型・森羅万象」即ち、「人間型護摩壇」は、固体自身が結界構造となっており、不浄のものを跳ね返し、寄せ付けない。この肉体を持つ場合は、神仏を抱えていても本尊を必要としない。何故なら、その固体そのものが本尊となる。

その代わり、「ヒトとしての幸福は全く無い」ことは覚悟しなければならない。それも、遺伝子が存在する限り代々と続くもので、私がその生き証人になる。

だから、私は誰にもオススメしない。


何故なら、実のところ、この「人間型護摩壇」は、弥勒如来の完成の象徴を意味する。しかし、これは発願当時に関係した者のみに作用する。

何故なら、人類の総人口が大きすぎている事や生息地や環境によって人が違い多種多様であるからにあり、語り継がれられたことは実現できようがない。

だから、弥勒如来は一般的に認識されたような救世主ではない。条件値によっては、煩悩や欲望を調伏とする査定基準に、救いもすれば祟りにもなる。

発願当時に関係した者とは、誓約した者たちにあたる。誓約した時点で因果となりその後因果応報の法則によって遺伝子がある限り誓約に沿って振舞う。誓約を守ってきた分の質量に応じて因果応報の作用は左右する。

しかし、誓約規定において、どちらかが誓約を破ってしまった時点で物理から解約される。 − 即ち、意図によって新たに行われた行為から超ひもの作用は断たれるからだ。

誓約を復活させるためには、まず、誓約を破ったことによって生じさせた悪い因縁を断って浄化させる意図から発した行いが必要となる。これは悪い因縁がなくなるまでである。それによって、元の誓約は復活する事を可能とする。極めて物理の成り立ちとなる。

しかし、私には、誓約の放棄が許されなかった。元の発願因子を持つ遺伝子だったからだ。同じ遺伝子を持っていたムハンマドがそうであったように誓約を拒絶すれば偉い目に遭う。至って実証主義者で現実主義に徹しd続けている自分は、20年前に大の宗教嫌いから数多くの矛盾を根拠に実践仏道の入門を拒絶して交通事故を期に死に目に遭った。仏縁があったのはそのときである。

つまりはシッダッタの発願に始まる…。経験値やパターンはブッダのそれと極めて類似している。出家したのもブッダと同年齢でブッダの誕生月に得度を受けて10年間のみの学習や修行をした。

諸神仏や仏縁に呪われているとは思うがそれは自身の遺伝子のせいである。ブッダと同じパターンしか起こさないから原因の非は「問題解決したいと願う」自身の強い遺伝子にある。私は、シッダッタの(完全涅槃を含む救済の)発願を含めて実行するために生まれてきている。発願達成のための固体にあたり、私限りとなる。

これにはその同じ道に関係した契機したものも発願達成内に入るだから、私にはやたらと仏縁が多く、神仏に囲まれる環境にあった。

弥勒の発願はするものではない。えらいことになる。


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posted by 0≠素子 at 23:14| Comment(0) | mystery science | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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